婚外恋愛が花ざかりだった華族社会

2011.06.13

戦前の日本には上流社会がありました。今はありません。今あるのは金持ち社会です。あり余るお金の使い方も生き方もわからず、マゴマゴしている人々の集団があるだけです。中国人は「三代の長者は衣服を知り、五代の長者は飲食を知る」と、実に明快に言いにくいことを言っていますが、ハイソサエティとはそうしたものです。つまり、五代か、少なくとも三代は安定したハイレベルの生活を送らなければ、衣服のことも飲食のことも、その他もろもろ何もわかりはしない。豊かな環境の中で上流社会人たるべく育てられ教養を身につけた人々で構成される社会、それが上流社会であると私は理解しています。さて、その上流人の恋愛観・結婚観は不思議に古今東西似ています。要するに、上流人は先天的に用心深く、クールで利己主義な点が一致しているのです。今から五十年ほど前、あのいまわしい太平洋戦争がはじまる前には、天皇家とそれをとりまく近い親族の皇族(宮家)が十四家、そして公卿華族、大名華族、および新華族が存在し、財閥(実業家)とともに上流社会を形成していました。公卿華族は平安時代以来千年余の家系を誇る殿上人の末裔、大名華族は領土と家臣団をもつ一国一城の主の子孫、新華族は明治維新で活躍したごほうびに地位を得た薩摩や長州等の下級武士の子や孫、この三種の華族が公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の爵位に叙せられていました。現在の天皇の長姉が照宮成子内親王で、私は女子学習院で同級生だったのですが、彼女は七歳で結婚の内約(婚約の前の段階)をしておられました。お相手は親類の皇族の東久邁宮盛厚王殿下で、当時十六歳。ほかの皇族や華族も似たりよったりでした。本人の意思を度外視して、家格のつりあいが判断のポイントだったようです。中等科(中学生)になれば内約をしている人はかなりいて、娘たちの関心といえば結婚のこと。皆、どこのお家にどんな少年がいるかよく知っていましたしいつまでも決まらない人は「売れ残り」と蔭口を言われます。それはすごくみっともないことで、皆いい結婚を早くしなければと思っていました。卒業時の十八歳か十九歳ではほぼ全員が決まっており、その中で「あの方まだよ。おかわいそうに」と蔭で笑われ、自殺未遂した令嬢もおりました。その点女の子って実に残酷、無神経ですね。あのころにくらべると、今の人は全般に幼いというか、晩稲だと思いますね。ところで、どこの国いつの時代でも上流社会は色好みで、恋愛と結婚は別問題という考え方を貫いてきました。恋愛は最もおもしろい遊び、ゲーム、結婚は地道な生活なのだから、これをひとつの線でつなぐのは間違いのもと、という経験からくる戒めがあるのです。しかもそれこそ不倫とそしりを受けるでしょうが、ハイソサエティでは結婚後の恋愛(もちろん配偶者以外の人との)に憂身をやつし大いにエンジョイしたものです。